不特定多数の人が読む文章、特に広告は、いかに効率良く情報が伝達できるかが重要です。そのためには、文章の意味が保持される範囲で、言葉を極力短縮するという手法を使いますが、この手法を使う場合、正しい日本語を用いることで、文章の意味が保持されなくなることがあります。
例えば、昔ミニストップのCMで使われていた「食べれる、しゃべれる、ミニストップ」というコピーがあります。「食べれる」は誤った使い方であり、正しくは「食べられる」です。しかし、「食べられる、しゃべれる、ミニストップ」だと、何だかミニストップが何かに食べられてしまうようなイメージになります。「店内で買ったものが食べられる」だと問題ないのですが、文章をさらに短縮した場合は、正しい日本語を用いることで、逆に言葉の要である情報伝達に問題が生じることがあります。それでも、正しいということになるのでしょうか?
いつからいつまでの用法が正しい日本語なのか。戦後直後から?それとも、明治時代、江戸時代まで遡って考えるのか?正しい日本語という話題はよく聞きますが、その定義はどうも曖昧です。社会的に影響力の強い世代が主に使う用法が正しいと定義されているだけに思えてなりません。
より多くの相手に意味が伝えられるという情報伝達効率と、使っていて不快感を感じないというマナーの要素が両立されていれば、言葉は変化してもよいと思います。これまでも、そう変化してきたはずです。
例えば、「とても」は「とてもかくても」の略で、本来は否定的な表現で使う言葉であり、「とてもおいしい」は、「全然おいしい」と同じく誤った用法でしたが、いつからか、正しい用法として扱われるようになっています。
横書きの区切りも、読点(、)ではなく、カンマ(,)を使うのが正しい用法でしたが(今でもカンマが正式かも)、今は読点を使うのが一般的です。
正しいか正しくないかは、状況により変わります。正しい日本語を定義するのではなく、正式な日本語を定義して、フォーマル、アンフォーマルと使い分けるのが自然ではないでしょうか。